明治37年(1904年)、陸軍騎兵少尉・三浦金蔵(静岡市羽鳥出身)は、支給された愛馬”松木”と共に「征露の役(※世にいう日露戦争の勃発である)」に出征しました。
少尉は勇猛果敢に戦歴を重ねますが、数々の銃弾を受け瀕死の重傷を負ってしまいます。それでも愛馬と共に辛うじて生還。明治39年(1906年)凱旋。司令長官より中尉の功労を賞でて感状と駿逸(※きわめて足の速い馬)を頂きます。
以降、三浦家で養うも、大正5年(1916年)病死してしまいます。齢19歳の死を惜しみ哀傷の餘碑を建ててこれを祀ることとしました。石碑の文字は、小説『坂の上の雲』(司馬遼太郎:著)のモデルになった日本騎兵隊の父・秋山好古大将の書です。
秋山将校は、三浦金蔵の上官であり、古き時代の風を今に伝えております。