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ご本尊「千手千眼観世音菩薩」を祀る、当山の本堂です。千手観音は、千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。ご利益は、災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。
宗旨…曹洞宗(禅宗)
お釈迦様をはじめ開祖道元禅師や歴代の祖師方の御影を安置するお堂で、開山堂(かいさんどう)とも呼ばれています。左右には、初代から歴代の住職が鎮坐し、その壇下には、檀信徒各家の御位牌が安置されています。
仏庵和尚の坐禅堂建設の意図を継いだ廉芳和尚が長野県下某寺院の衆寮(350年前のもの)を譲り受け、昭和48年(1973年)末に移築改修した建物です。「坐禅堂」という呼び名が一般的ですが、「僧堂」又は「雲堂」ともいいます。内陣正面には、”三人寄れば文殊の知恵”でお馴染みの「文殊菩薩(聖僧様)」が、参禅者の修行を導きます。
夏期の禅合宿をはじめ、広く一般者の参禅も受け入れております。(要予約)
本堂向かって右手前には、庫裡があります。大きな梁が出迎える玄関や典座寮(てんぞりょう)と呼ばれる台所など、かつての修行道場の名残を今に残す二階建ての建物です。
ご来山の際は、こちらからお気軽にお入りください。
かつては禅の修行道場だったこともあり、多くの僧侶が寝食を共にする修行の場として利用されていました。現在は、葬儀・法事等の接斎(後席)の場としてお貸ししております。また、緑陰禅・子ども禅の集い等をはじめとする合宿の宿舎やイベント会場としても活用されております。
各種催事、ご利用のご希望がございます方は、お気軽にお問い合わせください。
“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり”梵鐘の響きは、寺院の象徴というべきものです。かつて太平洋戦争のとき、当山の鐘も全て供出させられ、兵器に化けてしまいました。戦後25年を経て、ようやく先々代住職の廉芳和尚の代に復活することができました。
日々の暁鐘の荘厳な音は、久住の谷から里中に響き渡ります。特に年の瀬「除夜の鐘」が鳴り終わる元日の早暁、来る年の「災厄除け、家内安全、商売繁昌、交通安全」等の大祈祷が厳修され、多くの人々で賑わいます。
梅園を一望できる、まさに梅見のための離れ屋敷。かつては、全国からの賓客を展待するための施設という役割が主用途でしたが、現在は、広く「檀信徒会館」として貸出しております。会館内は、ゆったり休んで頂けるスペースや個室もご用意しております。法事後の後席や、通夜会場としてもご利用頂けます。(※通夜等の際は、ご宿泊することもできます。)また、近年では写真や絵画等の「展覧会」や「コワーキングスペース」としての貸し出しも行っておりますので、お気軽にお問い合わせください。
明治37年(1904年)、陸軍騎兵少尉・三浦金蔵(静岡市羽鳥出身)は、支給された愛馬”松木”と共に「征露の役(※世にいう日露戦争の勃発である)」に出征しました。
少尉は勇猛果敢に戦歴を重ねますが、数々の銃弾を受け瀕死の重傷を負ってしまいます。それでも愛馬と共に辛うじて生還。明治39年(1906年)凱旋。司令長官より中尉の功労を賞でて感状と駿逸(※きわめて足の速い馬)を頂きます。
以降、三浦家で養うも、大正5年(1916年)病死してしまいます。齢19歳の死を惜しみ哀傷の餘碑を建ててこれを祀ることとしました。石碑の文字は、小説『坂の上の雲』(司馬遼太郎:著)のモデルになった日本騎兵隊の父・秋山好古大将の書です。
秋山将校は、三浦金蔵の上官であり、古き時代の風を今に伝えております。
当山の「永代納骨堂」です。堂内には、祭壇があり観音像が祀られております。また左右の棚には、御霊(ご遺骨)が鄭重に安置されています。毎年、初夏には「永代供養祭」として御開帳し、ご遺族・縁者の方に御焼香を賜り追悼供養を行っております。
壇下には、今は亡き大切な方の安らかなお眠りを見守る「六地蔵尊」を祀ってあります。
鳥瑟沙摩明王は、いわゆる「トイレの神様」として広く信仰されています。この明王は世の中の一切の不浄をことごとく焼き尽くそうと金剛不壊の誓願を持ち、ものすごい眼力で威力を示されています。
当山の夏祭りである「開山忌」の際は、参詣者がこの「ウスサマさん」に詣でます。お札をいただいて東司(お手洗い)にお祀りし、病気にかからぬよう、又、老衰しても他人さまに下の世話にならぬよう祈願する人が各地より数多くお参りします。
また、一年を通して「トイレの御札」を売店にてお求め頂けます。
【黄梅藥師如来(おうばいやくしにょらい)・根切り地蔵尊(ねきりじぞうそん)】独住第六世廉芳和尚が東京で勉学中、巣鴨の「とげぬき地蔵尊」のご利益があらたかであることを知り、ぜひ静岡の人々にも与らせたいとご尊像(お地蔵様)の掛軸を頂きお祀りしていました。
やがて、石造りのご仏像をお迎えすることとなり、あらゆる病気の根を切ってくれるという意味で「根切り地蔵」と名付けました。後に仏師の三木宗策さん(詩人・高村光太郎の父彫刻家・高村光雲の愛弟子)に木彫りのお地蔵様を寄進して頂き、ご本体としてお迎えすることになりました。
「根切り地蔵尊」のお札は、売店にてお求め頂けます。
昭和43年(1968年)秋に竣功。岸澤維安老師の俗弟子・静岡大学教授の島谷俊三先生(不染院老梅自開居士) ご寄進の茶室で、工務店・今尾康次氏の設計施工。
後水尾帝お好みの灯心席を参考とし、草庵式書院の手法を加え、床脇に自仏棚、庭の杉苔などを植えて落ち着いた佇まいを見せています。市内在住の庭師・柴山次郎衛門の作です。
近年では、手作りのお菓子と地元のお茶を振舞うイベント「寺かふぇ」の会場としても利用されています。
お茶席等のご利用をご希望の方は、お気軽にお問い合わせください。
むかしむかし、境内の渓流東の山裾、二代石叟和尚が杖をお立てなさると、なんと塩水が湧き出てきました。以来、ここを「塩の谷」と呼ぶことにしました。その傍らに祠を造り縁結びの御利益のある愛染(あいぜん)明王をお祀りし、今日に至っております。俗にこれを「塩がまさま」といいます。